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岡村孝子さんの事を囁いています(^。^)y-.。o○
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 DATE: 12/01/2008 02:15:41 PM ----- BODY:

 

     けっして美人とは言えない。

しかし『真赤なほっぺた』と『やや鼻にかかった話し方や唄い方』

『少女少女した世界観』に当時の僕は、引き寄せらていた。

もう何年前なんだろうか。

熱が覚めて10年以上も経っているから、、、、。

 当時唯一の情報源のラジオ放送から流れてきた『忘れられた部屋で』だった。

その曲調と歌詞がドラマ仕立てになっていて、心に沁み入るのでした。

発売が1978年秋。

またしても1978年。

ギャルギャル神戸で耳にしたものか、全く別番組なのかはわからない。

過去のレコードも買い漁った。

シングル『おはようございますの帽子屋さん』『河のほとりに』『窓』。

LP『静かでいいな』『猫の森には帰れない』『もうひとりのアリス』

『鏡の中のあなたへ』とこのあたりまでは、

『浩子さん、浩子さん』と夢中になり、追っかけていた。

しかしLPの中の数曲は『浩子さんの世界』を理解できないものが、

これ以降少しづつ増え、『水の中のライオン』に至っては半分、

1993年発売の『天空歌集』などは全く理解できずにいた。

そしてファンクラブから来る冊子も全く目を通さない事が、

10年近く続いたのだろうか。

退会する数年前は、コンサートも数年おきにしか参加しなくなっていた。

初期には、『パソコン通信』での集いで、

浩子さんのオフ会に東京まで出かけたり、

96年には西は島根県西部の柿木村まで遠征した。

そんな熱意も、全てと言っていいほど『岡村孝子』との遭遇により、

『過去の人』になってしまった。

『感性の違い』『番組の終了』などの原因は多々考えらるけれど、

シアワセ ユキの『心を満たす』存在ではなくなっていった事は確かである。

最近過去の番組のテープや曲を聴いても、

懐かしいと思うだけでそれ以上の感動や安らぎなどはない。

少しづついだいていた『違和感』を感じつつも浩子さんのファンでいたのは、

少しばかりの未練だったのかも知れない。

 これを記すにあたって、浩子さんのオフィシャルやファンサイトを見ても、

もう過去のような感動はない。

 

 それにしても、『1978年』って、シアワセ ユキにとって色んな事があったようだ。

今一度、『自分史』として調べてみようか。

 


 

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DATE: 06/25/2008 08:55:40 PM

 


  過去の放送を録音してたカセットテープ『恵美子の長いつきあい』の某日。

リスナーのリクエスト『Amingの待つわ』と美恵子さんが紹介して、演奏が始まるとすぐ切ってしまっている。

時は1980年か、1981年。

まだまだ『孝子さん』に出会うまでの心の準備の出来ていない頃。

社会生活も、『恵美子さん』『浩子さん』という心の友にも恵まれていた頃。

この頃は、あらゆる事に『飛び回っていた』し充実していたと思う。

 そんな時代に『Amingの待つわ』と紹介されても、

数多くいる歌手のひとりの歌としか捉えていなかった。

心が『満腹状態』であったので、たぶんこの時に『愛がほしい』が架かっていても、

何の衝撃もなかったのかも知れない。

  今となっては、なんとも不思議な巡りあわせのテープである。



DATE: 06/25/2008 10:10:05 PM

こんばんは、今井です。

「恵美子の長いつきあい」で「待つわ」がリクエストされたんですね。

ん?ちょっとまってください、

たしか「待つわ」は1982年の7月にシングルリリースでしたよね……

ま、そんな細かいことはともかく、今回の話題にのぼったテープには、

ユキさんがおっしゃるように“不思議な巡り合わせ”を感じますね。

「恵美子の長いつきあい」の番組内では、恵美子さんの曲の他にも

(おそらく)当時のヒットナンバーがリクエストされる事が時々あったのではないかと思います。

それでも、いくら「待つわ」がヒットしていたといっても、

番組でリクエストがかかったのは1回しかなかったことでしょう。

偶然にもユキさんが「待つわ」がリクエストされた日に録音されていたか、

もしくは1982年当時の「恵美子の長いつきあい」を、

毎回欠かさず録音されていたか、どちらかだと思いますが、どうでしょう?

恵美子さんや浩子さんに孝子さん同様、一生懸命になっておられたのでしょうね。

はたまた、後の“未知標”として、神様が与えた偶然のいたずらか……

時の流れと運命を感じるといったら大げさでしょうか?

いぜん書き込みしたように、あみん解散後1983年頃は、

私も浩子さんを聴いていましたが、孝子さんの時ほどのめり込むことがありませんでした。

浩子さんの少し少女的で、でもちょっとグリム童話のような“怖さ、

人間の性(さが)”を持つ世界観は、とても魅力的でした。

しかし、当時私はまだ小学校を出たばかりの中坊。

そんな世界を理解するにはちょっと幼かったのかもしれません。

「じゃあ、何で岡村孝子は理解できたの?」

という疑問が湧きますが、巡りあわせというか、“心が求めた”というか……

うまく説明できずにいます。

ただ、同郷っていうだけではない、

やはり、曲そのもに心惹かれる何かがあったのだろうと思っています。

おそらく、ユキさんと孝子さんの「愛がほしい」も

そんな巡りあわせによって出会えたのではないでしょうか?




DATE: 06/26/2008 09:05:19 PM

 さすが、今井さんですね。

というより『待つわ』のリリースも知らないなんて、孝子さんにぶたれますね。

 本編の年代は、間違っていますね、テープは年代を書いていなくて、番組の内容から推測しています。

ポートピアとか、番組の公開録音の曜日などとか、、。

 色んな人との出会いは、本当に大切ですね。

ひょんな出会いも、あとにってはこんなに続くのかというものあるし、

それだけに大切にしなくてはいけないですね。

 僕の場合、浮き沈みが多く、沈んだ時期の出会いって長続きしていますね。

やはり心病んでいるって、心素直になれるのですね。

 浩子さんの事は、改めて記します。

孝子さんに出会って、、、というか、その前の『ギャルギャル神戸』が終了し、

東京でオールナイトニッポンでブレイクした浩子さん。

そして、少女少女してた浩子さんが好きだったのに、

その世界が自分が考えていた浩子さんの作品の一部で、

オドロオドロした世界が、理解できなくなっていったのです。

孝子さんに出会ってからもしばらくは『追っかけ』をしていました。

しかし、アルバムが出ても買う枚数は急激に減り、

コンサートも近距離のみの参加になりました。

 そして、自分の気持ちにうそをつくのは嫌で、ファンクラブも退会しました。


  いろいろ取りとめなく記してきました。

その時その時の心のありようで、出会いはやって来る。

孝子さん風に記せば『心の隙間のパズルがハマった』のでしょうか。

 そして“出逢いは いつでもきめいて 

知らない私を連れてくる”のではないのでしょうか。




DATE: 06/20/2008 07:58:13 PM

  朝日放送。在阪局で、もっとも遅くまで移転しなかった放送局。

 長年、大阪の環状線福島の駅から徒歩10分の好立地にあった。

建物の前に着いてもこれがあの準キー局とかと思えるような建物。

初めて行った時は、となりの、過ってのプラザホテルが朝日放送だと思った。

ラジオ、テレビの両放送を発信しているわりに、地味な感じである。



 でもこの放送局は、今まで一番訪問している。

番組も好きなのが多い。

1975年頃は建物一階のサテライトスタジオでのラジオ番組の公開録音に、何度も訪れた。

『恵美子の長いつきあい』の公開録音やテレビの公開録画にも何度か訪れた。

そして最近の一番の想い出は、キャンペーンを終えた『孝子さんの出待ち』のひととき。

ラジオ片手に、警備員さんにも了解を得たものの不審がられながらのドキドキのひととき。

放送終了後の以外にも早い移動に、この時は驚いた。

驚いている間に、どこからかスーと滑り込んで来たタクシーに乗り込もうとした孝子さんに、

全身の力を込めて『孝子さ~ん!』って呼びかけた。

結局一言もお話できずに後部座席に乗り込む孝子さんは、

ほんとうに小柄で、ポスターやコンサートパンフットから受ける『清楚な』感じではなく、

まだ幼い二十歳前の少女ってイメージでした。

 あの時『シアワセ ユキ です』と一言言ってれば、

別の展開があったのかな?なんて今頃になって悔やんでいます。

 なんの公開録音(えみ長?)か忘れたけれど、この社内で迷った事があった。

建物内部の廊下が複雑に入り組んでいて、ウロウロした記憶がある。

また本日のニュース番組の女性アナウンサーも、トイレには、

何やら想い出のあるようなコメントをしていた。

親しみのある放送局である。

シアワセ ユキにとって、いつも空気のような存在で、

なくてはならない物のひとつで今後もこの放送局の存在は大きい。

ひとつの時代が終わり、新しい場所からの放送だけれど、

いつまでも聴取者、視聴者の観点で放送してほしいものです。


 


 DATE: 06/19/2008 10:13:29 PM ----- BODY:

 Aming復活第二段の新曲のタイトルが、

オフィシャルではなく、BMGジャパンから発表になった。

『未来へのたすき』と『とっても大好き』ですが、B面(古いな~~)のほうが興味ある。

孝子さんらしい題名に、内容もまたまた前向き、一生懸命生きている者への応援ソング。

がんばってね! というものではなく、 何気ない言の葉に生きる勇気を自分自身で見つけ出す、

いつもの孝子さんらしい内容に期待したい。

  http://www.bmgjapan.com/_artist/item.php?id=2227&item=8953

 

  また孝子さんの髪が少しだけ伸びて、またまた可愛くなりました。

少しお痩せになられたような、、、でも一仕事終えた生き生きしたそんな印象です。

 

発売日 7/23まで 待ち遠しいような、少し怖いような、、、。

 


DATE: 05/25/2008 09:58:18 PM

       最近、孝子さんに掛ける時間より恵美子さんに掛ける時間のほうが長い。

そして、、、恵美子さんの声聴いていると、気持ちも何となく~~♪ほんわかしている。

懐かしく、またあの夢中になっていたあの時期にすんなり入り込める。

言い回しも、声の艶めかしさも、元気になるお喋りもあの時のまま(^^ゞ

当たり前だけれど(^u^)

 

 よくよく考えてみると、やはりあの『事件』以来である。

孝子さんの曲名がわからなかった事と、『Aming再結成』。

『大沢孝子捜索』も今の心境と変わらないかもしれない。

『ソロ 岡村孝子』復活まで、しばらくはこんな迷走が続くのかもしれない。

 



DATE: 05/26/2008 04:13:33 PM
 
ユキさんの、孝子さんに対する温かいまなざしは、

“愛”という言葉だけでは語りつくせないような気がします。

孝子さんに対する思慕だけでなく、孝子さんを愛し、

応援しているが故の迷い、孤独感、悲しみ、喜び、感動。

そうした繊細で深い想いを心のままに表現されるその姿は、

読んでいる私の方が、思わず胸が熱くなる時があります。
 
かつて高校時代に“孝子さんが全て”だった頃、

気持ちばかりが空回りして、コンサートで赤っ恥をかいた事。

どんなに頑張って応援しても、

ファンとアーティストの距離感が縮められそうになく、落ち込んだ事。

孝子さんの離婚を期に悩み、さまよい続けた時の事。
 
それでも、孝子さんの歌を聴くと、いつもとても温かい気持ちになれる。

それはやはり孝子さんを“愛している”からなんでしょうね。

そんな「ガラスのかけら握ったような せつない想い」を抱きつつ、

今日も孝子さんを応援し続ける。
 
ユキさんも似たような想いを感じているのではないでしょうか?

かってにユキさんの心の内を想像してごめんなさい。

でも、そんなユキさんの姿にとても共感を覚えます。

なぜか他人ごとじゃないような感じ、といったらいいんでしょうか……
 
しまりのない文になりました。

お互いに、夏のニューシングルを待ちわびながら、

孝子さんを温かく見守っていきましょう。



DATE: 05/26/2008 08:50:56 PM
 
 今井さん、今晩は。

今回の書き込みに関し、少しばかりシアワセ ユキの心の変化をお知らせします。
 
Amingとして活躍されている孝子さんも孝子さんなんだけれど、

やはりなんだかしっくりしないのです。

理屈ではないと思うのです。

『ソロ岡村孝子』はどこか『ドロドロ』とした人間臭さがありました。

それに共感、勇気づけられていました。

でも『amingの孝子さん』はどこか『綺麗に』仕上がり過ぎている、、。

でもこれも孝子さんなんですが、どこか違うのです。

そもそも孝子さんの出会いの『愛がほしい』や

当時買い込んだ『Kiss』までのアルバムたち。

それらの影響が大きすぎます。

『Aming』が大人のクラブ活動なら、シアワセ ユキはしばらくの間、

『過去に愛した女たちの旅』に暫しの時間、彷徨ってみようと思います。

そして『ソロ孝子さん』の事を改めて応援できればと考えています。

またいつの日か『Aming』のこと温かいまなざしで応援できればとも思います。
 
 今の気持ちは決して今井さんが仰るような『温かいまなざし』ではないのです。

自分が考えている『孝子像』と違う、ただそれだけなのかもしれません。

ここ数週間、発売時あれだけ夢中なったのに『Aming』を聴かなくなりました。

『ソロ岡村孝子』と『中山恵美子の番組』しか聴いていないですね。
 
 『Aming』も孝子さんですから、素直に応援すればいいのでしょうが。
 

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