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 DATE: 08/21/2008 09:58:53 PM 

 

  以前よく利用していたプレイガイドから、コンサートの案内メールが来た。

最近は孝子さんのコンサートしか行かないため、メールは即ゴミ箱行き。

しかし今回は、少し迷う。

何年ぶりかの神戸でのミニライブ。

『101人コンサート』のパターンである。

浩子さんの魅力のひとつである『膝を交えた』という表現がぴったりのコンサート。

一番前だと、手を伸ばせば浩子さんに手が届く(と言っても手を出したことはないが)。

パイプ椅子という簡単な会場であるがゆえ、和気あいあいとし雰囲気。

失敗すればその場面からやり直しが当たり前という気さくなもの。

『孝子さんのファン』以上のヘビーなファンも多く、かなり独特の雰囲気の時もあった。

もう10年もCDを買っていないし、いまさら浩子さんでもあるまいし、、、とも思う。

反面、久々に孝子さんにないあの台本のないと思われるトークや、

懐かしい少女少女した歌も聴いてみたい気もする。

大昔だったら、迷ったら行動しなかった。

20年くらい前だったら、浩子さん孝子さんの影響を受けて、

同じ後悔するなら行動してから後悔しようと。

でも今は、いや今年は孝子さん一本で行こう、それで後悔はない、、、と。

これをアップしたら、『お誘いメール』はゴミ箱へ捨ててしまおうか。

 

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DATE: 07/06/2008 09:27:42 PM 

 就職でも、採用される事って、嬉しい。

まして、自分の憧れのスター、18年想い続けてきた孝子さんに読まれなんて

(実際は相棒のハコさん(-_-)zzz)。

そのうえ、孝子さんに突っ込まれるなんて、この上ない幸せ者である。

送信する時には内容はチェックしたつもりなんだけれど、

完全に思い込みの悲劇が、喜劇に。

僕には照れ笑いの次元は過ぎて、孝子さんにマジ、

『シアワセユキさん』って名指しされた喜びで嬉しくて、嬉しくて。

過って、『エミ長』や『ギャルギャル神戸』などに投稿していた当時の

快感がよみがえってきた。

 

  孝子さんに夢中の人生がしばらく続きそうです。

  

                            
         
           (音源の著作権は、コットンに帰属します)
 

  もうこの際アルバムタイトルを『未来へのたすき』にしちゃいましょうネ、

          
孝子さん(*^_^*) 

 



 

 


 DATE: 06/27/2008 09:51:11 PM ----- BODY:

 

  先般のこの記事に関し、今井さんのご指摘に基づき調べました結果、

記事に間違いがありました。

  恵美子さん、孝子さんごめんなさい。

今井さん、ありがとうございます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%81%B5%E7%BE%8E%E5%AD%90

 この放送のテープは 1982年の夏 7月から8月にかけてのものとわかりました。

恵美子さんのポエム、恵美子さんの新曲『幸せの朝』の紹介箇所もありました。

だから『待つわ』はもちろん82年ですね。

そして、このあとひと月ほどして恵美子さんから、番組終了のお知らせがあったのです。

いまだに、そのテープが見つかりません。

そのほうが良いのかもしれません。

いつまでも恵美子さんは、心に生きている青春のマドンナだから、、。

 


 


DATE: 10/17/2008 12:12:43 AM ----- BODY:

   その昔、まだ孝子さんに出逢う前の1980年前半。

中山恵美子、谷山浩子のふたりのアイドルに夢中になっている頃に、

浩子さんと同じラジオ関西で、パーソナリティーを務めていた。

当時は浩子さんの隔週のひとりとしてしか見ていなかったけれど、

その三重子さんの作品の虜になった時期もあった。

『池上線』はもちろん『千登勢橋』は今でも時々聴いている。

孝子さんのファンになってしばらくして、

東京ベイNKホールで孝子さんのコンサートまでの時間の合間に、

千登勢橋、目白、池上線を訪れた。

まだ孝子さんの聖地など知らない時代の事、

三重子さんの聖地巡りは今でもくっきりと覚えている。

時が過ぎるとともに、よけい美しく残っているのかもしれない。

http://www.aoistudio.co.jp/SP/nishijima/

 


 


DATE: 11/23/2008 09:10:19 PM


Pb230395 
  いつ頃から、壁に掛かっているのだろうか。

NHKテレビ銀河ドラマ『 白鳥の歌なんか聞えない』(1972年) でデビュー。

この当時の男性たちは彼女を可憐、清楚、良家の子女と誉めたたえ、

男性のお嫁さんにしたい女性ナンバーワンをしばらく続けていた。

 このドラマも途中から観たような、、、なんで初回から観なかったんだろうと少し後悔した記憶がある。

当時はビデオも無く、このドラマに再会できないけれどそのほうが良いのかも知れない。

 このポスターは全紙の大きさがあり、写真用のべニアパネルに張り付けていた。

辛い時も憂しい時も嬉しい時もすべてを温かく見守ってくていた。

キッコーマンから手に入れた物のようだけれど、どういうかたちで手元に届いたのか記憶にない。

今まで大切にしていたけれど、もうこのパネルを処分することにした。

数週間前、夜中に吊っていた紐が切れ、天井から落ちてきたのである。

何の前触れもなく、、、(^^ゞ  だれかの祟りなのか(^^ゞ

 しばらくは吊り直すべきか、処分するべきか迷った。

彼女が結婚した79年に、処分しておくべきだった。

浩子さんに出逢った頃がベストであるけれど、拠り所全てを入れ替えるには時間を要していた。

しかしもう既に心に無い。

有るのはただ処分するには、忍びない気持ちだけ。

72年の出逢いからすぐに、手にしたこのポスター。

せめてパソコンの記憶にだけでも残しておこうか(^^ゞ

  参考資料
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E7%A7%91%E6%98%8E%E5%AD%90


 


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