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DATE: 03/30/2008 02:24:32 PM

 部屋の片隅にうず高く積まれたカセットテープの中から、

アルバム『夢の樹』を取り出し聴いている。

過去、何度も聴いて間延びしてる。

 これを買った当時は、まだCDが一般的でなかったと思う。

『一人息子』に当時は、共感していた。

女性側から歌ったものだけれど、その男性の気持ちもわからない事ではない。

当時の男女間の関係からすれば、

告白は男性からするものという風潮がまだ根深くあったように思う。

でも全てが、『風潮』ばかりの男性ばかりではない。

それだけに、女性のこのような気持ち

<うそでいい誰よりも お前が必要だと 言ったなら何を捨ててもついてゆくはずだった>

との女性の気持ちが理解していたなら、強引に『告白』していただろうに。

当時は、この彼に自分を重ねていた。

そして時は過ぎ、その彼がA君という実在の人物をもとに、

作品を創ったとの事を知り、嫉妬を覚える。

 このアルバム『夢の樹』は、孝子さんの揺れ動く心理と、

そのA君の存在の大きさに改めて驚く。

ひとつの『恋愛体験』でこれだけの作品を生み出す孝子さんって、偉大ですね。

 


DATE: 04/03/2008 01:17:32 PM
 
こんにちは、今井です。 う~ん、私なんかがコメントしていいもんだろうか?

と思いつつ…… ときどきシアワセ ユキさんが語られる、

「愛がほしい」と出会ったころの失恋と関係あるのでは?と思い、

軽々しくは返事できないなぁ。と考えている内に今日まで至ってしまいました。
 
初めて「一人息子」を聴いた時、私はまだ15歳。

およそ歌詞の内容を理解できる年齢ではありませんでした。

ただただ、ソロとして復活した孝子さんの歌が聴くことがうれしくて、

何度も何度も繰り返しレコードをかけていたような気がします。

(おかげでLPをガリっと傷つけてしまい、もう1枚『夢の樹』を買うハメになりましたが)
 
「一人息子」を実感するのは、妻と出会って、結婚を望むようになってからです。

実は、妻と結婚する際、私の両親の猛反対に遭いました。

詳細は書けませんが、結婚に至るまでには本当に「山あり谷あり」で、

一時期くじけそうになった時もあったのです。
 
“好きなだけでは結婚できない”と分かっているけれど

“好きだからこそ結婚したい”のも事実。

結婚するときに「何よりもあなたが必要だから、一緒にいたいから、

絶対結婚する」みたいなことを、妻に言いました。

 私の場合、運の良さや、周囲の理解などがあり結婚することができたのですが、

当時ある友人からは、

「本当に好きな人とは結婚できないものなんだよ。」と言われたりしました。
 
結婚となると、お互いの親や兄弟姉妹との付き合いもあります。

今まで生活していた環境がまるで異なるのですから、齟齬や軋轢はあって当然で、

きれい事だけではすまされないはずです。
 
それでも、「一人息子」で歌われる“あなた”は「本当に“私”を愛しているのだろうか?

“些細なことと 冷めて言う”ことができるのだろうか?」とも思います。
 
“あなた”の心は、もうここにないんだと感じ始めている、

だから「悲しいけれど 一人で生きていけるわ」と言い切ってしまうのではないでしょうか。
 
考え方が“若すぎる”といわれれば、確かに……

まだまだ、私自身が成長しきれていない部分があるのかもしれません。 

 

DATE: 04/04/2008 07:46:07 PM
 
 今井さん、今晩は。返事頂いていた事は、知っていましたが、

なかなか自分自身の中でまとまりがつかず、今日になってしまいました。

『感』は半分当たっています。

というのも、『愛がほしい』を知った時には、正確には『大失恋』ではなく、

なんとなく目標を失いかけていた頃です。

あとから思えば、バブルの最中の『イケイケどんどん』で、

社内の予算数値をなんなく達成していた頃でした。

優秀な部下も出来、現場から離れて管理職、、、という噂や、

内示のような話を仕事後の飲み会で何度となく、聞かされてい頃です。

僕としては、現場でたたき上げの人間で、

『人を管理する』なんて全く相に合わないし、才能もありませんでした。

ただ当時は、実力主義の時代とは掛声ばかりで、

まだまだ年功序列が幅をきかせていました。

それでも世間よりは実力主義で、『損益計算書』なるものを付けて、

自らの給料も、その月の利益に比例して頂いていました。

そんな毎日の中で、部下の女性に惹かれてはいたもの、

お互いの素性を知っていたのです。

僕は、三人兄弟の長男。

彼女は、二人兄弟の長女。

結局はお互いの気持ちを尊重し過ぎて、何も言いだせなかったのです。

 悶々としていた頃に、辞令が降り、神戸へ転勤。

彼女はその場に残り、時々は仕事上で会っても、

気持ちは日毎に冷めていってました。

そんな何とも歯がゆい気持ちで、

当時何度も北海道へ旅をして気持ちを慰めていました。

そして運命の89年10月『愛がほしい』で孝子さんに出会いました。

『失恋』と『仕事の行き詰まり』の半々での出会いという事でしょうか。

『愛がほしい』というより、『心の支え』が欲しかったという事になりますね。

 そしてあれから、何十年。

その仕事も、しばらくして辞めました。

また、その彼女との年賀状だけの付き合いがまだ続いている事を記して、

今回の『ひとり息子』に関する書き込みは終了いたします。
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